読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

【防災】まいにち

災害への備えや心構えを常に持てるよう、防災は毎日していることが大事です。”賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ”と言われています。過去の災害から学ぶことは多々あります。

家具固定-災害の教訓を学び、事前の備えに取り組もう

1995年1月17日 阪神・淡路大震災

平成7年(1995年)1月17日05時46分、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16キロメートルを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。

気象庁ホームページ 「阪神・淡路大震災から20年」特設サイトより

f:id:fram7952:20160208151010j:plain

 出展 気象庁|「阪神・淡路大震災から20年」特設サイト

 

阪神淡路大震災は1月の早朝におき、多くの人は家におり室中で被災しました。そのため家具の転倒やテレビ等の家電により負傷、死亡されたり、迅速な避難ができないことが起きました。

その経験をもとに家具の固定や転倒防止が、各自の地震対策として重要です。

  •   阪神・淡路大震災に見る家具転倒の状況
  • 家具の固定は、各家庭や職場でしなければならない地震対策です。
  • 「壁ならどこにでも固定できるってわけじゃないよ」
  • 「壁の桟と家具の桟をL型金物で止めるのね」
  • 「冷蔵庫やピアノもそのままでは危ないよ」
  • 「家具の配置にも工夫が大切なのね」
  • 「重い物は低いところへ-当り前のことも忘れずにね」 
続きを読む

明日、阪神・淡路大震災があると分っていたらどうするか?

1995年(平成7年)1月17日 阪神・淡路大震災

知っていれば良かった、地震のこと (神戸市 20代 男性 学生)

 

うちは、大きな被害はなかったのですが、明るくなってからも、どきどきしていましたし、長田のほうから黒い煙が上がっているのを、私の家から見えたことが特に記憶に残っています。だから、今でも、ちょっとした地震に敏感に反応してしまうし、花火の音にもドキっとしたりもします。

当時は小学校1年生で、地震という言葉すらも聞いたことがなかったので、物理的に被害は受けていないけれど、やはり影響は大きかったなと思っています。

地震が起きると家が揺れたりするとかということぐらい、最低限知っていれば、「ああ、地震だ」と思えたら、もしかしたらあの時、そこまでびっくりすることもなかったかもしれない。僕自身が心のケアとかを勉強してきたからかもしれませんが、地震を知っていれば、もしかしたらその後の心理的な負担とかは軽減されたのではないかなと思ったりします。

出典 内閣府 防災情報のページ(1日前プロジェクト)より 「知っていれば良かった、地震のこと」

f:id:fram7952:20160518165115j:plain

 災害は、生まれて初めて体験する場合が多いです。繰り返し起こる災害も、発災した時に、その場にいないと体験することができません。前回、その地域で起こったのが数十年前だとすると、体験者が居なくなっている事もあります。

 

「起震車」は地震の揺れを体験し、地震発生時を事前に体験し心構えを持っておくために防災訓練で活用されています。

f:id:fram7952:20170113154819p:plain 出典 東京都港区ホームページ

https://www.city.minato.tokyo.jp/kouhou/kuse/koho/minato2016/201609/20160911top/01.html

 

生まれて初めてのことに備えるのは難しいことかもしれませんが、事前に発災時を想像しておくことは防災に取り組む上で有益です。

過去の災害を学び、語り継ぐことを考える

1945年(昭和20年)1月13日 三河地震(愛知県南部)

1月13日は、1945(昭和20)年午前3時に内陸直下型の三河地震が発生した日です。死者は2,306人に達しました。その37日前の、1944(昭和19)年12月7日には東南海地震があり、授業・勤務時間帯に重なったこともあり、学校や工場等を中心に死者1,223人の被害が発生しました。

 

過去の災害に学ぶ

 1944年東南海地震からわずか37日後に、1945年三河地震が発生した。「南海トラフの巨大地震発生前後に内陸に大地震が起こる可能性が高い」と言われる典型的な例である。これら二つの地震は、日本の敗戦が色濃くなった戦時下に起こり、軍需工場が集中する東海地方に大きな打撃を与えた。当時、報道管制下にあり、地震の報道は極力抑えられ、「隠された地震」とも言われている。
出典 広報ぼうさいNo.44

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/pdf/kouhou044_20-21.pdf

 f:id:fram7952:20170111163251j:plain

 

  被災された方たちから「こんなことは今までなかった」「生まれて初めてのことだ」と話されるのを聞くことがあります。
災害を自分で経験することは稀な場合が多いです。災害の経験は語り継がれることにより、教訓として活かされます。


 大きな災害であっても、その時の社会の状況や時間の経過により経験が語り継がれなければ、風化して行ってしまいます。
防災に取り組む上で設備や物資などのハードだけでなく、口伝で語り継がれるソフトも大事なことです。

富士山は活火山

1707年(宝永4年)12月16日 宝永噴火

 富士山の一番最近の、そして有史以来もっとも激しい噴火が、江戸時代の宝永噴火です。
 1707年(宝永4年)12月16日、富士山南東山腹の五合目付近から轟音とともに黒い噴煙が渦を巻いて立ち上り、大噴火が始まりました。

f:id:fram7952:20161117154759p:plain

出典 静岡大学防災総合センター

 

f:id:fram7952:20161117155604p:plain きわめて爆発的な噴火で、はじめは軽石、後に黒色のスコリアと呼ばれる火砕物が大量に噴出しました。富士山の東麓に点在する村々では降り注ぐ噴石や火山れき・火山灰で家や田畑が埋まり、特に噴火地点に近い須走の集落は壊滅状態となりました。須走に降った噴石は大きいものだと直径20?あり、火山れき・火山灰の厚さは2mにも及んだといいます。

出典 静岡大学防災総合センター

 

続きを読む
広告を非表示にする

災害を語り継ぐことを考えてみる

1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震東海道沖)

12月7日は、1944(昭和19)年、海洋プレートの沈み込みに伴い東南海地震が発生した日です。発生したマグニチュード7.9の地震で、授業・勤務時間帯に重なったこともあり、学校や工場等を中心に死者1,223人の被害がありました。

 

東南海地震インパク
 東南海地震は、宝永地震安政東海地震震源域と比べると、地震空白域があることが指摘され、割れ残し部分(想定東海地震域)について地震予知を前提とした対策が進むこととなった。当地震震源の広がりについては、想定東海地震に備えるために今後とも検討を要する課題である。
出典 内閣府 防災情報のページより

報告書(1944東南海地震 1945三河地震)

1944年の東南海地震によって発生した津波は、伊豆半島から紀伊半島までを襲いました。
1944年第二次世界大戦末期の戦時報道管制の厳しかった時期であったために、被害の具体的な報道は一切されませんでした。そのため被災者による津波の体験談が、インパクトの大きさや死者の数に対してそれほど多くないのはその為でした。

 

災害も時間が経つにつれてその印象が薄れ、徐々に過去の出来事になるようです。”天災は忘れた頃にやって来る”と言われるのは、人が災害のことを忘れたいと思っているからかもしれません。

 

f:id:fram7952:20161212173219p:plain